117系(大ミハ)
1990(H.2)年3月改正から福知山線での運用が始まりました。
当初C1〜C8の編成が福知山色に変更されただけでしたが、
1991(H.3)年頃増加した利用客に2扉では対応できず、ドア周辺の
座席が一部撤去されました。1992(H.4)年にはC1を除く編成が順次
現在の座席配置となり300番台(原番+300)になりました。
また、この頃C10・C21の2編成が加わりました。その後一部編成が
4連化され、その際2パンタ化になった編成も存在します。
夜間の下り快速にはこの4連2本を組んだ8連運用も存在しましたが、
221系に追われ日中の運用はなくなり朝夕のみになっていました。

2005(H.17)4月25日に発生した脱線事故からの運転再開に向け
尼崎〜新三田間ではATS-Pの導入となり、117系は対応しておらず
事故以来の篠山口以北での限定運用を最後に福知山線での運用が
無くなりました。
        4連は2パンタに改造され冬季には両パン上げて運転。
                  丹波大山〜下滝
                 6連 南矢代〜篠山口
               2771Mは4+4の8連。
    篠山口で切り離し作業が行なわれ自動解結装置の真価を発揮。 
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