T−4編成 |
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震災後には踏切事故で残った3両と瀬戸内色3両と組んでの6連も。 |
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踏切り事故で先頭車が廃車になり阪和線(鳳支線)用の クハ103−194が転入。踏切事故で損傷を受けたモハユニットも復帰。6連時代。 |
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7連時代 |
後にクハ103−194をクハ103−128に差し替え。更にT-3編成の クハ103−837と差し替えを行いサハを除く6両がN40体質改善工事を受け 宮原唯一の存在でした。 |
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N40体質改善工事後 |
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サハ103−1が組み込まれていました。 |
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