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関西初のカナリヤ色103系は1981(S56)年の宝塚電化開業に合わせ宮原区に新製配置され、 これにより福知山線(JR宝塚線)のラインカラーにも採用されています。 新製配置された生え抜き車両は高運転台車でクハ103−850はクハ103のラストナンバー車。 運用区間は城崎電化で広野まで延び、一時期は篠山口までの運用もありました。 大阪口では長らく大阪駅までの運転でしたが、次第に新大阪、吹田と運用区間が延び最終的に 京都まで顔を出すようになりました。 JR発足当初は4連の新製車だけでしたが運用増加で明石区より非冷房車が転入、 暫くスカイブルーのまま運用していました。 207系が配置されると一部の編成が明石区に転出。後に編成見直しでM+M’ユニットが 戻ってきて6連に増強。また淀川区からも編成単位で転入して来て配置数は増加しました。 東西線開業後は京都までの運用となり201系と編成数を揃えるため7連に。 最初は森ノ宮区のサハ103 750番台が使用され一時期オレンジを挟んだ混色編成でした。 この頃からスカイブルーに変更されて、末期にはカナリヤ色は消滅しました。 また、高運転台車は経年が少ないこともあり、ユニバーサルシティー開業に合わせ 桜島線・大阪環状線用に改造され転出。そのため残った編成のほとんどが他区所からの 車両になってしまいました。 2003(H15)年に入り207系増備車が201系の運用に入り、運用に余裕が出来た201系が 宮原の103系運用に入るようになり運用数が減少。その後も徐々に運用数が減少し 一足先に土・休日運用が消滅。そして8月15日の平日運用を最後に宮原区の103系としての 運用は無くなり約22年と4ヶ月の活躍にピリオドが打たれました。車両は次の活躍の場へと各所へ 転出していきました。 |
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カナリア色で活躍していた頃の宮原区103系 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
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