1−1.元クハ481−200番台

 元クハ481−200番台(以後元200番台と表記)を種車とする車両に、1−3位側で下の画像のように3箇所で違いが見られました。

比較画像

上: 違いが見られた200番台の床下。  下:一般的な元200番台を種車とするの床下配置。

   1−1−1.直列抵抗器MGMDd・比較画像@)

@の直列抵抗器(MGMDdと標記)が別の位置に移動したのか見当たらない車両が存在。

 次に並列にして比較線を入れて。@の機器が無く小振りな機器を配置。 Aの縦寸法が違い@機器奥(裏側)のMGRと底辺がほぼ同じ。

 
同じ特徴となるクハ183−205(A46:画像下)・206(A41:画像上)ですが赤枠で囲った場所に206(A41)では標記が一部しか読みとれませんが
「MG…」ですので@の機器がこの位置に移設となっている可能性も。また白矢印で示す配管が一直線に延びるが205(A46)では両方存在しない。 

   1−1−2.ブレーキ制御装置(比較画像A) 

前項目で特徴の違いがあったクハ183−205(A46)・206(A41)の2両ですが、Aの機器・ブレーキ制御装置が寸法違いの大型のものを装備(上の画像参照)。
JR東日本に継承された車輌では「C2PE」と標記されていることから、後述の300番台の途中から仕様変更になったのが、一部の200番台でも採用された模様。

 該当するのはクハ183−205(A46)・206(A41)の2両。種車が順にクハ481−254・263でクハ481 200番台の
後期グループに属するので共通点を模索するのに調べたところ257・260・261も同じと確認出来た。
この時点で最終グループ全般がこのタイプかと推測したが、JR九州に継承された251・252・253・255・259・262では一致しませんでした。

採用の共通点が見当たらないので、以下推測…。
 @251以降(昭和47年度第3次債務)で「C2PE」が採用され九州転属車は従来の「C2AE」に戻された。
  (九州転配の300番台は「C2PE」のまま存置。200番台は共通化を目的とした?) 
  (外観上、筐体の大きさが判別材料だが従来サイズなので加工が必要。大型のままでも収納可能だが…)
  (機器配列が従来車と同じになり直列抵抗器の筐体も移動(復活?)。)

 A251以降(昭和47年度第3次債務)で試験的に「C2PE」を採用するにあたり、各製造メーカー毎に1両が該当。
  (近畿車輛製造分の260・261は両車「C2PE」となっている(但しJR継承後の確認))

 B向日町転属配置時に「C2PE」へ交換された。
  (但し、後述の300番台で「C2AE」で落成した向日町生え抜きの3両は、以後「C2PE」へ交換されず廃車を迎えている。)
  (同時期に向日町へ転属配置となった、落成時期が異なる235や以前より向日町へ配置されていた223・228と向日町生え抜きの253は従来通り)

果たして…真相は??

  1−1−3.水揚減圧弁(比較画像B)

 

次にB(水揚減圧弁)の機器の大きさ比較。縦寸法が短い。(車体裾とレール高さを極力合わせてあります。)
同じクハ481−200番台を種車としているものの、クハ183−200番台では小振りで、クロハ183−800番台は一回り大きいサイズとなっている。
晩年、交流機器使用停止扱いで編入したクハ183−207(BB68編成・元クハ481−228)の機器を確認したら、
小振りであったことから800番台へ改造に際して?と推測しましたが1986年11月電化開業に備え試運転する時点で既に晩年同様のサイズでした。

200番台は上り向き、800番台は下り向きと法則性はありますが方転可能構造ですし…次に転配履歴から共通点を探してみたところ
800番台は全車南福岡配置を経て、200番台は全車金沢配置を経て福知山にやって来ています。これが唯一の共通点。
ここで、引っかかるのが福知山から金沢へ転出し、戻ってきたクハ183−201(元クハ481−201)ですが、他のクハ183−200番台同じタイプの物です。
ただ、民営化前の福知山配置時代や、その前の配置区の日根野区時代では大きいサイズでした。この事から南福岡配置時代に取り替えられたと推測。

また、B(水揚減圧弁)の機器の取付で車体と間隔がある車両が存在します。画像右が200番台での標準的位置。
画像中央と画像左の車両では機器上部と車体の間に間隔がある。該当車は、左:クハ183−207(BB68)中:クハ183−203(A42)の2両。
 両車、川崎重工製造で後述の300番台でも同様の特徴がみられた。

   1−1−4.MGCL (クロハ183 800番台) 

 本体表側に機器が存在しますが、B66には何故か存在しません。出版物等で国鉄時代の画像を確認したら当時から存在していたので後年に撤去されたと推測。
800番台の種車は全車南福岡配置を経て福知山へ転配されています。また、福知山区でクロハ481−213となった後にクハ481−201に復元のうえ
金沢へ転出し、後年クハ183−201として福知山区へ戻ってきた時には、この機器は撤去されていました。空気孔は下の画像のように三種存在します。

 

(左)多数を占めるタイプ(B63・66以外該当) (中)下辺の縁が狭くなり空気孔の面積が広まる(B63) (右)更に下辺の縁が広がり長方形気味(B66) 

   1−1−5.MGCL (クハ183 200番台)

@:A45   AA41・A46・A47・BB68 BA44  CA42

 クロハ183 800番台の様に本体手前の機器は存在せず、表面の状態が4種存在。画像左側2枚は本体表面はフラットですが、
空気孔の網の押さえ方がU字金具押さえがあるタイプ(@)と全てネジだけで押さえるタイプ(A)が存在。画像右側(B・C)では本体表面上に
横桟が3本存在し、空気孔の網の押さえ方はこちらも同様に二種存在する。前述の800番台とは違い福知山配置前の所属が全車、金沢配置。

    1−1−6.D・E電磁給排弁 低圧ヒューズ

  長年、福知山区に配置されていた800番台等では無いですが、短期間の助っ人的配置となったBB68編成のクハ183−207のみ
耐寒対策なのか、袋状カバーが括りつけるように取り付けられていました。恐らく「雷鳥」運用で北陸本線を走行していた名残と推測。(下画像左)

話は逸れますが、上沼垂に配置されていたクハ481 200番台ではこの機器の部分に箱が存在するため、
こちらも耐寒目的でカバーではなく箱で覆ったようです(下画像右)。
上沼垂のクハ481は最終グループの258・260・261の3両でクハ183−205(A46)・206(A41)の2両(種車はクハ481−254・263)と同様Aに同じ特徴が確認出来る。

   

画像上:一般的なクロハ183 800番台 
 画像下:カバー付きのクハ183−207

1−1−2の項目で取り上げた2両と同じ特徴(A)をもつ上沼垂車。
赤枠内機器が箱で覆われている 。

     1−1−7.配管 ※ATS-P改造前の状態

 クロハ183とクハ183で違いが見られた。同じクハ481 200番台を種車とするが、元空気ダメ付近の配管の有無が分かれる。
 
画像左上から順にB41・B62〜B66・BB68。右上から順にA41〜A47(種車がクハ489のA43は除外) 

B62(左画像上から2枚目)の配管がほぼ横一直線なのと、B65(左画像の下から3枚目)の元空気ダメ前後の配管が奥側を通す事により目立たないのが主な違いで、
全体的に元空気ダメの前に配管を通してある。これに対しクハ183では201〜207まで同じ位置に配管が見当たらない。

 1−2.元クハ481−300番台

 元クハ481−300番台の1−3位側では機器の配列が4通りあるようです。 
 左上:クハ183−704(B63) 右上:クハ183−709(C32) 左下:クロハ183−701(B61) 右下:クハ183−701(B62)
右下が福知山区では多数を占める配列の車両。右下を基準に比較すると左上と右上が少数派の配列でDの機器とCの機器の場所が入れ替わっている。
ここまでは同じだが、丸で囲った位置(@)に機器の有無がある。また、Aの筐体の大きさが異なる。左下では他と共通する機器が2個しか見当たらない。

左上が次項目の表「ブレーキ制御装置・C2AE車」でと右上が「床下機器配列違い@」に該当する。

クロハ183−701の配列はスカートのページでも特徴がみられた1971年落成最終ロットの345〜354(全車、日立製)が該当するようです。

    1−2−1.MGR(補助抵抗器)

 
補助抵抗器(MGRと表記)の機器の拡大画像。@・A・Bが多数に見られるタイプで。Cが少数派。こちらは筐体正面がが平面。

@・A・Bは筐体が二つで1セットのような感じで手前側筐体に蓋が有り、下部が傾斜する形状。傾斜部分に通気口のような部分がある。
@は手前側が奥川よりサイズが異なり段差が容易に分かる。Aは前後筐体に段差はほぼ無前後の横幅がほぼ同じ。
また、前面機器の正面板の留め方も@ではネジのみなのに対しAは留め具が備わる。傾斜状の面に備わる通気口にも違いがあり、
@では2分割でAでは大型長方形一箇所。Bは@と幅が似ているが1枚となっている。

Cは@・A・Bと異なり一面フラットとなっているが「MGR」の標記がある(画像は不鮮明ですが…)このタイプを装備している
車輌を探すと次の項目で取り上げる中で特徴のあったのと一致した。総数354両のうちTR69E形を履く12両が該当。

    1−2−2.ブレーキ制御装置 

 
(左)A機器の標準的サイズ (中)クハ183−704の縦寸法の短いタイプ (右)200番台種車のクロハ183。

A(JR東日本所属車では「C2PE」と表記)の機器を比較するとクハ183−704が他車と比べ裾部分の折り込み開始位置が上部側。(折り込み開始位置を赤色点線で比較)
この形状はクハ481−200番台を種車とするクハ183−200番台・クロハ183−800番台の機器と類似し、下部突起物も同じように見えます。
この配置・形状はクハ183−704(T61→B63)の他にクロ183−2701(A41)とクハ183−707(C34)が該当。
この3両、冒頭の「1−2.元クハ481−300番台」で既に記述済みですが300番台54両中僅か3両しか存在しない「ブレーキ制御装置・C2AE車」です。
その3両全てが福知山区で183系となり終焉を迎えました。 
        

元クハ481−300番台、機器配列の違い一覧表 

一覧表左側の多数派はブレーキシリンダをダイヤフラムシリンダへ変更したTR69H形を履いたグループ。変更された方が多数派で、
製造開始当初のTR69E形が12両と少数派で、その内半数以上の7両が183系として福知山に在籍したことになる。(一覧表右側(注))
この仕様変更が機器の配置と関連があると推測。


注:クロハ183−701(クハ481−354)は機器違いの都合上右側へ記載したが多数派のTR69H形を履く。

   1−2−3.MGCL  

 
@:一般的タイプ。右記A〜C以外が該当。A:クロハ183−701。B:クハ183−704。C:クロ183−2701。Dクハ183−707。

BとDは似ているが空気孔の枠、底辺の幅が違う。 空気孔がネジ押さえなのは上記BCDの3両のみで、MGRの項でも3両とも同じ特徴があった。

   1−2−4.水揚減圧弁  

 

@一般的サイズ・取付位置。A車体との隙間が目立つタイプ。B縦寸法の大きいタイプ。CATS-P機器取付で所定位置から消えた。

Aは元クハ481−200番台と同じ特徴がみられた川崎重工製造の車両で、上部に隙間があるため標準のものと比べ一段下がった。
Bは車歴を辿ると仙台に新製配置された車両にみられるようで、Aの特徴を持つ川崎重工で落成した車両であっても
仙台に新製配置となった車両はBのタイプとなる。ただ、クロハ183−701(元クハ481−354)は仙台に新製配置となっているが
@のタイプ(注1)となっている。同時期・同じ製造所で落成し仙台配置となったクハ481−353はB(注2)でした。

注1:福知山転配直後は不明。民営化直前では@タイプ。
注2:JR時代の画像で確認。200番台では九州配置を経た車輌は大型になっていることから仙台時代からかは不確定。

   1−2−5.配管(前位側)※ATS-P改造前の状態

外部より元空気ダメから水揚減圧弁付近に配管が設置されているのを確認出来ますが、一部配管の短い車両が存在。

 
黄色矢印で示すのが 水揚減圧弁でその奥が元空気ダメ。水色矢印は配管の折り曲がり位置を示す。

画像最上段が多く見られる配管の状態で、元空気ダメと水揚減圧弁の間で配管が車両中心部へ折り曲がる。
上から2枚目以下が少数派。こちらは水揚減圧弁を通り越してから車両中心部へ折り曲がる。

該当するのは最上段を除く5両が該当。上から順にクハ183−702・701・クロ183−2706・クハ183−710・705。
(画像は全てATS-P装着前の撮影。よってC35・C31は編成は晩年の編成組み換え前)この5両の共通点は東急車両落成の車両でした。

1−2−6.配管(後位側)

後位側では以下のように3通りの形態が確認出来ました。 
 
 該当車両は次の通り。

@:クハ183−701・702・705・706・711・712・クロ183−2703・2705・2707・2708・2709の11両。川崎重工業落成車とTR69H形を履く東急車両落成車が該当。
Aクハ183−703・704・707・709・クロ183−2701・2702・2704・2707、クロハ183−701の9両。日立製作所落成車が該当。
B:クハ183−710・クロ183−2706の2両。TR69E形を履く東急車両落成車が該当。

クハ481 300番台を床下の違いで分類した一覧表 

日立製作所で製造されたグループが特徴で細分化しているのが目立つ。